2016年7月8日金曜日

同時の認識方法


同時の認識方法



19世紀生まれの

アインシュタインや、
ローレンツ変換のローレンツ達が見過ごした前提条件。


見過ごした前提条件に気付けば、
21世紀の物理学が始まる。

量子力学を、いかに座標に描くか。その最初の試論となるだろう。


アインシュタインの提唱。

光速を基準に世界を描くことで、
ニュートンが復活する。


それではまず、ほとんどの20世紀理論物理学者達が
権威主義の低脳であったことを
確認してから、はじめよう。




特殊相対性理論では、

基準系と慣性系では、同時性が破綻するとされている。

これが簡単な間違い、早とちりであるのを確認し、
徐々に、単純トリックの本質に迫るとする。


まずは、同時の確認方法に、
3つのやり方があるのを紹介する。


まずは、言葉で。

1番目のやり方が、数学者の方法。
2番目のやり方が、戦争屋(システム屋)の方法。
3番目のやり方が、考古学者の方法。

注釈: 

戦争屋とは軍人のことではなく、イメージを扱うものとする。
いまは、漠然と、わけのわからないものとして扱ってくれればいい。
言葉でイメージを扱うものとして。



数学者が、頭の中で、数直線をイメージする。
数直線は無限性であり、普通は線分を代理として使う。

同様に、2次元平面や3次元空間も無限性であり、
普通は、その有限である部分を切り出し、イメージする。

現代数学の数学者なら、
空間を日常空間の視覚的イメージから切り離し、
言語能力だけで、無限性の空間そのものを扱うかもしれないが、

言語能力が、記号(単語)を扱うだけでは見落とす、見落としたものに
迫るのが、本稿の目的なので、

数学者なら、読み終わったあとに、

この100年の20世紀物理学者達の醜態が、
ゲーデルの不完全性定理の見本であると、
確認してくれるだろう。

俺は数学は、さぼったので、いまの段階では、
断定はできないので。数学の権威でないんで。
そこは、数学者に任(まか)す。

本稿を読み終わった数学者に。


数学者が無限性の空間から、
部分空間、有限空間を切り離し、
日常空間と同じ扱いができる空間を用意する。


目を瞑(つむ)ってみよう。

皮膚が内部空間と外部空間に、
3次元空間であると措定されている日常空間を分ける。


宇宙論なんて無視して、この宇宙ができて
150億年だ、200億年だという御伽噺(おとぎばなし)は無視して、

皮膚の内側は、有限空間。
皮膚の外側は、無限空間。


自分の身体を構成している有限な原子個数に注目して、
この原子1つ1つを、点と見做せば、

皮膚による境界面というのは、幻想的なものになる。


レオナルド・ダ・ヴィンチが、輪郭線ではなく、
スフマートという技法、濃淡で境界線を認識させたように。


皮膚による境界面は、言語的な明確な輪郭線ではなく、
点群の濃度さの認知、集まり具合の認知となる。

点群が、たくさん集まっている濃密なところが内部空間。
それ以外が、外部空間。



では、第1番目の同時認識方法、数学者のやり方を確認する。

視覚に頼らず、数直線上の2点を頭の中で指し示せば、
同時となる。これが数学者の同時のやり方。

宣言だけで、あるいは、

無限性の数直線や、
無限性の平面や、
無限性の空間の2点を指し示すだけで、同時となる。



閉じた線で、平面に絵を描けば、
丸でも三角でもいい。

多角形を線分で描けば、
輪郭線を構成する、すべての点群は、同時である。


そもそも、線分は両端と、その間に無数の点群がある。

線分を2次元的なノートや液晶画面に描けば、
その両端の点と、その間に挟まれた点は、同時と見做される。


あまりに、あたりまえのことで、くだらないが、

まず、数学者の同時を確認した。




2番目の戦争屋の同時は飛ばして、
3番目の考古学者の同時を紹介しよう。



真っ直ぐな線路を等速直線運動している列車をイメージする。

ローレンツ変換のローレンツが戯言(たわごと)、言ったので、
列車は進行方向に縮んでいるかもしれないし、
縮んで見えているだけかもしれないが、

実験物理学的に同時を見るとは、どういうことか。
同時を見る方法とか、状態をそもそも定義しないで、

風景を手続きなしで平面座標に描いた、

電磁現象世界の相対性概念を理解していなかった
19世紀生まれの方々の間違いなんだが、

いまは、これには触れず、迂回をする。



特殊相対性理論では、

線路上を動いている列車に乗っているヒトと、
線路が敷設されている地上に立っているヒトでは、

列車の内側にいるヒトには、同時に見えることが、
列車の外側にいるヒトには、同時に見えない。

これを同時性破綻と呼び、この衝撃的な事実から、
時間と空間を同じものとして扱う天才アインシュタインの話に入るが、

そこを待った(まった)、にしよう。



考古学者なら、同時をどう扱うか。

炭素14を使う。放射性炭素年代測定。

確か、太陽活動によって大気中の炭素14濃度が変動するのを
測定方法ができた後から知って、

年代が確かだと思われる発掘物を参考に
修正するようになったとか。

開発当初は、
生物死骸に含まれる炭素14の放射性半減期計算に夢中で、
生物が取り入れた大気や太陽活動の変動を
いつも一定だと見做す視野狭窄をしてたわけだ。


アインシュタインがした、と、される思考実験の視野狭窄。
本当は、アインシュタインは数学行列式を使って(演算して)、
その視野狭窄の失策をしたらしいんだけど、そこは飛ばして、

考古学者の同時の扱い方を使おう。



線路上を動いている列車。
列車というのは、車両が繋がったもの。

列車を、先頭車・客車・展望車の連結したものとする。


先頭車: 新幹線みたいな流線形。
客車 : 東京ー博多のだったら16輌編成だから14あるけど、いまは1車両。
展望車: 新幹線だと先頭車と区別できないんで、静止画で進行方向わかる様に。


注目するのは客車1車両。

客車中央から光子1つずつを先頭車方向と展望車方向に同時に放つ。


客車の両端、先頭車への扉と、展望車への扉に、
同時に光子それぞれが着く。

これが列車内のヒト。

列車外の線路が敷設されてる大地に立つヒトには、
最初に展望車への扉に光子が着くだった。

でも、ほんとうだろうか。

そこで考古学者の方法。



いままでは、列車内のヒトと、列車外のヒト、
2人に聞き取り調査しただけだった。


19世紀生まれの物理学者達は、マックスウェルの電磁方程式が、
ニュートンの世界観と素直に繋がらないので混乱し、

基準系と慣性系を代表した2人に聞き取り調査して、
混乱してしまったのは、しょうがない。

でも、ちょっと、冷静になれば、物理学なんだから、
実験すれば、いいんだよね。

数学者は、頭の中で、イメージして、
基準系の列車外のヒトがどう世界を見るかイメージし、
慣性系の列車内のヒトがどう世界を見るかイメージして

済ませちゃったけど、

数学者がしたイメージが、
実験物理学として正しいのものかどうか、

カメラアイを3次元空間内に実際に、位置指定して、
検証すればいいだけのこと。

思い込みから、視野狭窄して、
電磁現象とニュートンが、素直に繋がらないとしてしまっただけってことは、

迂回して、迂回して、さらに迂回して、気付くことになるんだけど、


まずは、ここでは、考古学者のやり方で、どうも変だったてことに
気付いてもらおう。


聞き取り調査は、
列車系代表者1人と、
線路系代表者1人のイメージだけじゃなく、

もっとたくさんのヒトから、イメージを聞き取り調査すればいい。

セカンドオピニオンを求めるのは、いまや、常識。


いや、そもそも、加害者と被害者のような、
2者だけからの聞き取り調査で、現場検証ができるだろうか。

基準系と慣性系を代表した2人からの聞き取りイメージだけで、
電磁現象の相対性理論を構築してしまったのが、
ローレンツ変換のローレンツやアインシュタインの間違い。

ローレンツ変換のローレンツの戯言と違って、
アインシュタインが提唱した光速基準での世界記述は、
方針は正しい。でも、前提条件をミスった。見逃した。



線路には枕木が等間隔で存在する。


ここでは数直線を使うんで、枕木を稠密に無限個、
線路に存在させる。


その枕木に歩哨(ほしょう)を立てよう。立たせよう。
すべての枕木に歩哨が立つ。


同様に、客車にも、無限の座席を用意して、
先頭車への扉と、
展望車への扉の間を稠密に埋める。


でも、いまは、客車の両端である2つの扉に、
乗客を座らせるだけでいい。




さあ、思考実験の始まりだ。


客車中央から放たれた光子が、展望車への扉に着いた。

枕木に立つ歩哨の1人が、目の前で、その光景を目撃する。


枕木に立つ歩哨は、

客車中央から放たれた光子が、先頭車への扉に着く光景は目撃しない。
彼の担当は、自分の眼の前で起こったことを、
自分の腕時計時刻を参考に記録するだけだ。



同様に、別の枕木に立つ歩哨が、自分の眼の前に起こったことを記述する。
この歩哨は、客車中央から放たれた光子が、
先頭車への扉に到着するのを、自分の眼の前で起きた時刻を記述した。




数学者がイメージした聞き取り調査では、
基準系と慣性系の代表者を相手にした。


基準系と慣性系の代表者は、客車両端が同時に見えてるわけだ。
だから、列車系の代表者は、同時だと証言し、
線路系の代表者は、同時ではなかったと証言しているわけだ。


一方、考古学者がこれから参考にする文書の、
文書記載者である枕木に立つ歩哨さん達は、
客車のどちらか一方の扉しか見ていない。

歩哨さん達は、2つの光子が、それぞれの扉に到着したのが
同時であったのか、同時でなかったのか知らない。


同様に、客車内で、
先頭車への扉に位置する乗客さんも、
展望車への扉に位置する乗客さんも、
2つの光子が、それぞれの扉に到着したのが、
同時であったのか、同時でなかったのか知らない。

自分の腕時計を見て、自分の眼の前で起こった事象の時刻を記載するだけ。




不思議だ。基準系や慣性系の代表者は、どうやって、離れた2カ所の事象を
同時であると認識したんだろうか。



考古学者は、記述された報告書を、
100年後に集めてもいいし、1000年後に集めてもいい。

1つの報告書を10年後に手に入れ、
もう1つの文書を1万年後に手に入れてもいい。

考古学者は、それぞれの文書がホンモノであるという信頼性さえあれば、
入手時期は、いつでもいい。

そして、報告書に記述された文字や、写真から、
事象の光景と、己の腕時計時刻とを結び付けた、報告、
2カ所の報告から、それが、同時であったか、なかったかを知る。


数学者と違って、列車系だ、線路系だの代表者とかいう、
どうやって、代表者になったか不明な、

それでいて、2カ所の同時性を手続きなしで知っていると宣(のたま)う
代表者の聞き取りイメージを信用してじゃなく、

ちゃんと信頼性のある報告書複数を集めて、
同時であったかなかったかを、考古学者は知った。


それでは、考古学者が集めた報告書にある文字を
写真イメージにしてみましょう。



光子それぞれが、離れた別の箇所にある扉に着いた時刻。

線路系2人の歩哨さん達の腕時計が同じ時刻を示したかどうか。
列車系2人の乗客さん達の腕時計が同じ時刻を示したかどうか。


同時性破綻が本当にあったかを、
次のページで検証しよう。



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mokuji ヘ








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