2016年5月4日水曜日

3の4 座標に導火線と燃え痕(あと)を描こう。中篇

書き出し中。




話を、もう少しすっきりさせよう。


目を閉じてくれ。

目を閉じて、いや、ふらつかないように、目を閉じる前に立ち、
肩の高さで両腕を伸ばす。

目を閉じる。

自分の身体を含む平面を3次元空間にイメージする。

「おへそ」と「背中」の間に距離があるけど無視して、
自分の身体を平面とする。


背面が見えてる。

左腕先から右腕先まで、両腕を広げて、2~3メートル。
この画像枠だと、左と右に人型をコピー&ペーストできそうだ。

この黒板。緑色だけど、この黒板をあなたは液晶画面で見ている。

目を閉じて、この人型に同一化する。なりきる。



左右の腕が、如意棒のように伸びる。10億光年くらい。片側。
両方で20億光年長さぐらい。

この大きさの人型を頭の中でイメージすると、頭部とか胸とか両脚が

点ぐらいにしか、イメージできないと思う。


頭の中のイメージの世界は、比率でできている。

俺の身長は1m67だから、それと20億光年長さを比べれば、
身長は、あるんだろうけど、長さとか高さとして比較対象としてイメージできない。

身長は消えはしないけど、自分が数直線になった気分。

首の付け根あたりを数直線の0位置にしよう。

左右、1メートルごとに点をイメージする。
左右に無限に点々が続く。


この俺を1メートルぐらい背後から見ている誰か。

さっきまで、液晶画面上の緑色した黒板を見ていた俺の位置に。

そいつも俺と同じ平面人形にして、
左右、1メートル間隔で無限に点を与える。


この俺の1メートルぐらい手前に人型背面が見える。
そいつにも、左右1メートル間隔で無限に点を与える。


俺がカニ歩きして、等速直線運動で横ズレする。

目は閉じているので、
点が放つ光子が網膜に到達する近接作用は関係ない。

無数の点群の存在だけを頭の中でイメージする。

俺のカニ歩きと伴に、俺の左右腕延長上の点群は動いているらしい。
俺、数直線0位置との距離が変化しない。


と言うより、俺の左右にある点群は、

いまいる俺の位置から、1秒後に速度Vで到達する位置とか、
俺を光源として放たれた光子が1秒後、2秒後・・・
に、到達する位置とかになった。

俺がいまから動いて到達する位置目標だから、実体はない。
常に到達不可能。


代わりに、俺がいまから動いても、動かなかった俺という影武者を
用意しよう。

それが、俺の背後1メートルぐらいに居る俺。


俺の手前1メートルぐらいに居る俺は、
最大速度で動く可能性の俺。

最大速度は光速。

数直線マイナス方向とプラス方向に最大。
1秒後なら、2光秒長さ幅となる。


この俺を空間に固定することは可能だろうか。


いまから実験をするんだが、実験中、俺を空間に固定できるのだろうか。

外力が加わらなければ、いまの状態が続くがニュートンの慣性の法則。
しかし、空気の分子が絶えずぶつかってる。俺の皮膚に。

ブラウン運動の世界。アインシュタインが論文にしたブラウン運動の世界。


アインシュタインは思考実験をした。
線路を動かないものとして、
客車を線路上で動くものとして、

同時性破綻していると、座標上だけで検証し、
事物の座標上位置存在を、
電磁現象の近接作用による情報遅延を考慮せず、

慣性系によって、時の流れが異なるとした。

その思考実験だけど、

一瞬で終わらないよね。


客車中心から光子を左右に放つんだけど、
客車端、展望車への扉にぶつかるまで実験は続く。

このとき、先頭車への扉位置に、もう1つの光子は届いていないと、
座標上だけでは確認した。(ホントにそうか、イメージの論理紹介するよ。)

最低限、ここまでの時間を、観察時間として、
客車外観察者が、実験系を観察し続ける、

ベルクソンなら持続と呼ぶだろう経過時間を消費している。


アインシュタインは、その間、客車外観察者は外力、
ブラウン運動の世界から完全に独立、無関係として扱ってる。

その証拠に、線路を正面に見ている客車外観察者と線路を一体化させ、

客車外観察者が、線路自体が左右に動いて見える可能性を排除している。


これって、天動説じゃん。

自分が実験中、線路に対して動く可能性を排除して、
相対性を考えている。


厳密な相対性なら、最低限三つ巴(みつどもえ)。


客車外観察者と客車。
客車と線路。
線路と客車外観察者。

この相対性を考えないで、

客車内の左右に動く光子を見つめる。それも奥行き考慮せず、
事物の存在だけを扱った相対性実験。

ガリレオの相対性原理の実験より後退してるぜ。


電磁現象の実験じゃ、事物が見えるってことは、
事物の存在そのものが、そっちの方向に見えるってわけじゃないぜ。

太陽が見えた。見えたイメージは8分前に太陽が放ったものだ。

それを地球自転成分だけ考えても、
24(時間)x60分=1440分


1日が1440分で360度回転。
8÷1440x360=2

ざっと計算すると、いま見ている太陽と、
存在としての太陽のいる方向は、

2度ズレてることになる。




観察ってのは、局所点がするものだ。電磁現象の世界では。


根本がおかしいを指摘して、

前のページを復習しとくぜ。いまは。





存在とイメージは違う。

さらに投影するスクリーンが平面だったり曲面だったりすれば、
描かれるイメージも異なったものができてしまう。


天才アインシュタインの提言に従って、
光速で電磁現象の世界を記述、
これからするけど、



アインシュタインは xy平面というデカルト座標をスクリーンとして選んだのが失敗。
ガリレオの相対性原理は、存在を扱ったからデカルト座標でよかったけど、

電磁現象の情報遅延を織り込んだ座標じゃ、ガウス座標。
複素平面を最初っから使うべきだったのさ。

電子回路とかの説明にも使われてる複素平面を。






じゃ、復習に入るぜ。鮮明さを増した。

3連結した客車群をイメージする。

客車中心位置にだけ注目し、数直線上に記(しる)す。


3連結した客車群なんてケチらないで、
無限に連結した客車群をイメージして、
それぞれの客車中心位置だけを直線に記したら、

数直線ができあがった。




できたものが、線路と枕木群に見えてきた。


客車1両と線路だと、線路は無限性に対して、客車は有限部分。
だから線路という直線内を動く線分と認識された。

この場合、線路は無限性だから、つい、動かないと思ってしまう。


だが、客車だって無限に連結したから、線路の無限性と対等になった。




線路は動かないで、客車は動くという思い込みが、
線路と客車に対称性を回復したんで、

思い込みが消えたと思う。


下敷きでも、30センチ定規でもいい。
A4コピー用紙でもいい。

目を瞑って、A4コピー用紙同士を擦(す)り合ってもらいたい。

左右の掌(てのひら)でもいい。


この状態の観察者が、3人称の観察者。

一方に肩入れして、空間に対して固定する。
そうすると、残りの方だけが動いてる。


3人称の観察者が感じる、動かない空間だけが、
残り2つの事物(を無限に繰り返し拡げれば慣性系)に対し、
特権的。


ただし、787に乗って、航空機内の液晶パネルに表示される、

対地速度(たいちそくど、Ground Speed ; GS)

対気速度(たいきそくど、英: Airspeed)

そして、風速。
(空気分子群通過。地球表面の位置と高度で特定される一か所。)

を考えれば、


特権性なしの三つ巴。



こういう風に、相対性概念の構造を明らかにしていくんだが、
電磁現象の相対性概念。


その前に、あたりまえのことを確認しとく。





























































































































































次は、

3の3 座標に

mokuji ヘ
















次は、

3の3 座標に

mokuji ヘ



100の100 ABC END